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Archives Vol.1( 2010/6/21〜8/23 ) |
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2010 / 8 / 23 |
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レンズを通さないで見る眼 レンズを通すと必ず歪が生じる。レンズを通さないで直視することの重たさが求められる。右に左に大きくぶれる現実こそ生きている人間の悩みなのだろう。レンズを通した富士山の写真を見ても、綺麗だなと思うが、感動までは与えてくれない。実際に、この目で見た富士山は例え新幹線車内からガラス越しに見ても感動する。あぁそうなのか、これが霊峰富士か〜、と思うのである。 人間、一つの事象に遭遇すると、とかくシャカリキになりがち。それが本来の闘争本能であり、生き抜く術、性とも言える。恐らく、それを忘れた自分は自分らしくない抜け殻でもあるだろう。生きている自分がそこにいるのなら、多少の犠牲心・義侠心が備わっていなければならないとも考える。どう思い、どう行動するかにかかっている。 戦争に負けても現代日本のように良い国もあるではないかと言ふ人もいる。ある意味間違いではないが、負けたという心は未だに日本人の心にネガティブに様々なことが働いている。勝って死んでも本望だと、何が何でも遣り通さなければとも思う。 仏教用語に「無相」という語がある。一方で人の路を諭されている自分がいる。
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2010 / 8 / 16 |
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終戦65年とお盆を思う 中年を過ぎた頃から終戦記念日とお盆は重なる行事として深く考えるようになった。14日夜放映されたテレビドラマ「きこく歸國」を見た。重く受け止める内容だった。が、合間のコマーシャルの内容との余りにものギャップにさらに心は沈んだ。 親父が生きていた頃は、家庭の中で、親父だけの座があった。家族の誰もが座れない空間。親父は茶の間の最も良い場所に陣取り、自由気ままに家長としての威厳を放っていた。親父は座わったり横になったり、煙草を吸ったり、「お茶!酒!飯!」と、単語だけ発していた。かたや自分はどうだろう。定位置席はない。風来坊のようにあっちこっちへ…、冷蔵庫からビールを出し、コップを引っ張り出し冷酒を飲む。 時代は変わり、英霊への感謝の気持ち、祖先への畏敬の念は希薄になった。でも私は仏壇に手を合わせ親父に語りかける「引き上げて来て、俺を生んでくれて有難う!英霊の皆々様、日本の今を有難うございます!」と。
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2010 / 8 / 9 |
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楽に生きる 今の日本は実に暗い。何だかドンドン日本は劣等国になり下がって行くような報道ばかり。個人所得も落ち込み、失われた20年・デフレスパイラルとか、ネガティブなフレーズが並ぶ。政治も混迷を極め、政府に地方行政に民は苦言を呈す。どうも自信のない国になってしまった。歯科医療の困窮をアピールするまでもなく、国民全体が困窮する事態を迎えている。さてどうするか!?個人の在り方を考えてみよう。 「明日は今日より必ず良い日が来る!」と言い聞かせ、朗らかな笑顔で毎日を過ごす。気力を充実させて、気持ちを変えることで、どうせお金がなくても、不幸に見舞われていると錯覚していても、笑えばきっと楽になる。落ち込んでいてはいけない。鏡の前で思いっきり笑ってみよう。きっと明日の勇気が湧いてくる。
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2010 / 8 / 2 |
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汽水漂う・漲る(ミナギる)島(邦 くに) 汽水とは淡水と海水が交じり合う水のことをいう。すなわち、川が海に流れ込むその場所の水のことである。この汽水こそが、山の栄養を海にもたらす源であり、汽水により豊かな海が創られる。 山の栄養で大切なものは、樫・クヌギ・楓などの常緑広葉樹林のことであり、桧・杉などとは違う。広葉樹は冬には枯葉を落とし、その地面を腐葉土とする。そこでは動植物の連鎖、輪廻転生が繰り返され、それらを含んだ雨水が海に注ぎ込む。このようなつながりにより、日本の近海は豊かな海として醸成され続けている。汽水漂う国は自然がもたらした誠に有り難い環境である。 その環境が損なわれつつある現在、地球温暖化問題よりも重大な日本人の課題と見定めなければならない。 杉・桧の大規模植林が戦後行われた結果、花粉を撒き散らす大きさに育った杉・桧が、現在花粉症として国民を苦しめている。 (住宅街が山に迫っていることにも一因がある。神戸でも山沿いより海沿いの住民の花粉症は少ない。) ようやく、地域によって杉・桧を伐採し、広葉樹植林が行われつつある。 50年の計を見誤ると花粉症どころではない、日本という国の存亡に関わる事態がたくさん存在する。 予見出来ないこともある。青アスベストは肺胞に取り込まれてしまうサイズだから生体にダメージを加える結果となったと言われる。だからインクリボン粒子も肺胞に取り込まれないサイズまでが開発限界とされている。 差し迫った医療問題が山積している。未来につながる新しいシステム構築が私たち医療者の大きな責務だと思う。英知漂い・漲る那で在り続けたいものだ。
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2010 / 7 / 26 |
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「形あるものは壊れる」・・・!? 表題は、誰しも理解しているつもりだ。 無機有機を問わず、いずれ無くなってしまう。 観念的ではなく、現実的理解が追い付いていない自分が居る。 パソコンの耐用年数は大凡5〜6年であり、保守対応も次々と打ち切られて行く。 現在、ウインドウズMEのサポートは無い。XPもいずれはサポートが打ち切られるだろう。 一方、レセプトコンピューターはどうだろう? 漠然とベンダー主導で導入し、リース・アップになれば再びあれやこれやと悩み、挙句の果てに新規契約。 使い勝手が変わり、スタッフ共々あたふた。 今回のオンライン化に伴う措置についていけない、という声もいまだに多い。 今後、情報管理という意味において、作り上げることにも増して、潰れていく運命の情報を、どういう具合に保存するのか破棄するのか、皆で考えていかねばならないだろう。 壊れた陶器を捨てられずにいる、いっそ粉々になったら捨てられるのにな〜・・・!?
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2010 / 7 / 20 |
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江戸吉原 たまに、日歯役員で私的交流の機会を持つことがある。 今回は、東京の常務が珍しいお店を吉原近くで設定してくれた。 一日に予約一組みのみ受け付けの、季節料理屋さんだ。 店内はこぢんまりして、囲炉裏を囲む風情あるたたずまい。 10数名で満席となるような規模だ。 我々7名は囲炉裏を囲みその日のお任せ料理に舌づつみ、会話も弾む。 特別珍しい料理という訳でもないが、美味しく頂戴した。 吉原は現在では寂れている。 当時の面影はないとのこと。 思い出したことがある。 半年ほど前に放映されていた連続ドラマ「仁」。 現代の医師が江戸時代にタイムスリップし、様々な活躍をする面白いものだった。 中でも吉原と花魁が大きくクローズアップされており、野風という花魁が登場する。 江戸の匂いは、まだ薫り続けている。
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2010 / 7 / 12 |
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遥か遠き思い出 今年の梅雨は、雨が多い。 お陰で、おんぼろ我が家は雨漏りでとうとう大修理の憂き目。 当分、不自由な生活が待っている。 工事のために整理整頓をし、捨てるものの選別をと業者から指示あり。 昔のがらくたを整理していたら、小さいころからの様々なものが出てきた。 目を通していると、思わず目を覆いたくなるほど稚拙な私が居た。忘れていた頃を過去の資料が思い出させてくれた。懐かしい思い出というより、苦い思い出が多い。 今を美化しようとする者の特性から、ほとんど捨てることにしたが、残しておくものの一つとして写真を一枚見つけた。 恥ずかしくて、中身は言えない。 とにかく、お宝発見には至らなかった。 残念!
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2010 / 7 / 5 |
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見張り 航海での見張りは大切な役割。例えていうなら、今の歯科医療の見張り役は誰だろう!? 見張りは航海の進路を注視し、危険を未然に察知し、舵を切る操舵手に指示を出す。船の位置は?機関の不具合は?燃料は十分か?操舵だけではなく全乗組員が一丸となり航海の安全を遂行する。船という単体では見張りの役割や安全な航海というものがよく理解できる。 歯科医療という連続性があり蛇のようにうねりながら進む立体感覚の見張りは難しい。後ろを振り返り、長く横幅があり歪なものを全て見ることは不可能だし、前を向いてゆく手を阻むものは何処と見つめることも不可能。様々な要件を入力して分析を試みても中々困難な状況だ。日本の行く末と同じということぐらいしか分からない。 歯科医療は日本の歩む道とイコールなのだから、我々歯科医療人も日本の国をよりよく理解し、日本を考えることが歯科医療を考えることだと思考回路を変えなければいけない。 日本人として責任のある行動をすることが歯科医療の未来を明るくすると信ずる。
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2010 / 6 / 28 |
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アナログとデジタル化 デジタル化全盛期の昨今、アナログとデジタルが全く別次元のものと混乱している向きもあります。 手で文字を書くこと、IT用機器を用いない状態をアナログ。電気信号変換で演算処理能力を飛躍的に向上させ、ある目的の事に対して迅速適格に処理することがデジタル化。 すなわち、世界中の事象はアナログですが、その一部のものを取り上げて高速処理して一元化すれば、より良い状況となるということでしょう。 膨大な文字情報・画像情報を一元化し瞬時に世界中から集めるためにはパソコンという端末が非常に便利となっています。 しかし、忘れてはいけないことがあります。自然界のほとんどの現象や人がそれをとらえる方法はアナログ的です。 つまり、絵画や音楽などは自然界の音や色を人がアナログ的に処理することから芸術として発展してきました。 大切なことはアナログ的大きな視野に立ち、今まで処理不能だったことに対して、目的を持ってデジタル化することと思います。 医療はアートとも言われ、極めてアナログ的なものです。「あらゆる芸術の士は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするが故に尊い」と、かの夏目漱石は書いています。 歯科医療というものを考えるヒントがアナログとデジタルに潜んでいるのかもしれません。
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2010 / 6 / 21 |
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動物の本性 政権与党内で党首が変わり総理大臣も8ヶ月で退任しました。 さすがに、8ヶ月は早すぎると思います。日本の立ち位置は混迷を極めているように映ります。さて、これからどうなるのでしょう!? 最近、テレビで動物の生態についての様々なドキュメンタリーが放映されています。概ね、食べること・生殖継体・子育て・安全性に焦点が合わされているようです。 しかし、根本は「生きること」すなわち「食べること」と見てとれます。我が家の犬達も同様で、24時間の内20時間ぐらいは寝ていますが、反面、食べる時間は短いにもかかわらず、その瞬間は全精力を注ぎ込みドッグフード茶碗に首を突っ込んでおります。 人間はどうでしょう。少々食べることを軽んじていないでしょうか。飽食の時代が続き、食べられることは当り前で、「食べること」について真剣に考えることが欠けている時代となったともいえます。 もっと、「食べること」と真剣に向きあいたいと思います。私たち歯科医師は人間の尊厳・原点である「食べること」をサポートする職種ですね。 そういう認識をもって、疾病に対する治療だけではないたとえば「食べること」についての社会的啓発活動をすることも歯科医師の務めだろうと思っています。
この中に、我が家のシェパードが・・・ |
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